ありーのだいありー

ありーのだいありー

いろいろ書いてましたが(笑)、今はただの旅日記です。

手記|インドのイスラームについて

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よく晴れた日の夕方、イスラム教徒の生活地区に入ってみた。ふと見上げると大きなモスクが建っている。中からはクルアーンを朗読する老人の声が聴こえきて哀愁が漂う。

近くでその流暢な歌のような声を聴いていると、愛想の良さそうなおじちゃんが声をかけてきた。
「お前、中に入りたいのか?」
ぼくは少し躊躇った。イスラム教徒ではないし、何より少し怖かった。しかし、ここで怯んではいけない。ぼくは何でも経験したいんだ。ぼくは大きく頷いた。
「ついてこい。ムスリムじゃないんだよな?気をつけろ、普通にしてろよ。みんな部外者には敏感なんだ」と忠告しながら、ムスリム教徒ではない僕を中へと案内してくれた。
 

 

 
中に入るとそこは大きな広間だった。想像していたような教会というよりは、集会所にイメージが近い。前のほうにはたくさんの人が座り、祈りながら朗読を聴きいっている。僕らは後ろの一角に座りながら、彼がこう話し始めた。
 
「俺たちは一つの神しか信じないんだ。なぜかって?例えば、お前とおれが神だとして、決め事をしよう。それが違ったらどうする?解決の策はないだろう笑
 だから神は一つしかいないんだ。その神であるアラー以外はみな人間なんだ。キリスト教はキリストさえも神だと言う。仏教徒はブッダが神だと言う。違う、みんな人間でアッラーのみが神なんだ。」
 
うん、これはだいたい知っているぞ。
 
「…キリスト教には何十個の説話のパターンがあるが、クルアーンは1つのパターンの話しかない。千年も前に書かれたものなのにだ。そしてそれは、聖書やらとほとんど同じような話になってるんだ。面白いだろ?最後の2つだけがムハンマドのオリジナルだけどな。
 そして俺たちは常にその教えに従う。食べ物、この髭だってそうだし、帽子も服も教えによるものだ。たしかアメリカでは最近同性婚が合法化されたが、聖書では禁止している。イスラムではそんなことは絶対にしない。処女で結婚し、それまではセックスも触るのもだめだ。もちろん後ろもだめだ、ハッハッハッ!!
 …ところでお前は何を信じる?仏教か? まずイスラームを知りたければクルアーンを英語で読んでみるといい。もしくは話が大体同じである聖書でもいい。英語でも売ってあるから試しに読んでみろ。」
 
ほう、なるほど。はじめてイスラム教徒の生の声を聞いた。そこで、前から気になっていたことを彼に尋ねてみた。
「一日に何回も祈ったり、髭を伸ばしたり、帽子を被ったり、豚肉は食べられないし、他にもいろんな細かい規則があるよね。それに従うことは面倒ではないの?煩わしいと思うことはないの?」
 
ぼくの予想とは違う答えが返って来たのだ。
「お前は一日に何回風呂に入る?入りたければ忙しくても時間を見つけて入るだろ?それと同じさ。おれらはやりたいからやるんだ。」
 
はっとした。
そうか、やりたいからやるのか。それは縛られているという感覚とは違うようだった。イスラム教は戒律に厳しいと聞いていたので、まるで強制されているのだと僕はてっきり思い込んでいたが、宗教というのはそういうものではなかったのだ
信じたいから信じる。教えには自ら従いたい。彼らはそういう感覚で生活しているのだ。宗教に縛られて大変だなと思いこんでいた、宗教について何も知らない自分がいた。宗教というものをもう少し知っておかなければならない。このままでは世界のほとんどの出来事を理解できないで終わってしまう。そしてなによりも、宗教が広まっていく理由がもう少しで掴める気がするのだ。
 
「また来るよ」そう言ってモスクを後にした。外に出てみると、周りのイスラム教徒が少し身近に感じられた。「今日の晩ご飯はビリヤーニだな」そう、イスラム教徒はビリヤーニという焼き飯をよく食すのである。
 
夜、部屋に帰ってルームメイトにこのことを話すと、ヒンドゥー教の彼らは少し怪訝そうな顔をした。
「あいつらは汚いよ。道は常にゴミだらけだし、ろくに身体も洗わない。髭だって伸び放題だろ?駅の窓口とかで並んでいるときは、あまり近づきたくないなぁ」
 
ちょっとショックだった。普通の教育を受けている彼でもそう言うのか。宗教が違うだけで、同じ民族でもこうも変わるものなのか。僕が話したイスラム教徒のおじちゃんはそんなことはなかったはずだ。ふつうの教育を受けているルームメイトの彼にも偏見があるのだから、そうでない人たちは尚更だろうと思うと、なんだか気分が沈んでいった。
それでも、街に出かけるとヒンドゥーとイスラムの友達グループが仲良く歩いていたりするのを見かけるのだ。彼らは見たところ、かなり教育のある学生たちだと思う。教育というのが人々の価値観に大きく影響を与えるというのを、ここにきてやっと実感を持って理解することができた。
 
僕の価値観はいったいどのようなものだろうか。それが表れる瞬間をもっと経験しよう。世界中を周り、様々な人と出会い、色々な習慣や考え方を目にして、価値観を認めては崩し、認めては崩す。そうやって繰り返して自分を削った後にやっと、自分の芯のようなものが分かるのだろうか。
 
そう思いながら、今日もまたインドを味わうのだ。まだ知らぬものを求めて。
 

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